←BACK
作成:2004年3月23日
新宿 鉄砲組百人隊
2003年9月28日 

 ――新宿百人町で火縄銃の発砲デモンストレーション――

 大久保は江戸時代に鉄砲組百人隊が住んでいる場所だったそうで、だから百人町。
2年に一回秋に保存会の行列が行われる。

 内藤新宿から伊賀者の鉄砲隊が大久保に移住し、大久保百人大縄屋敷とよばれた。幕府は、そこに百人の鉄砲隊を常駐させた。江戸で鉄砲を持てるのは、あまり社会的地位の高くない同心達にとって、名誉な事だったでしょうね。明治5年に大久保百人町と町名が変えられた。

 鉄砲隊の人達は、同心になりきっている町内に住む人達であり、商店街の人だけでなくサラリーマンから教員まで参加。

 大久保の皆中(皆アタル)稲荷から始まる

寛永年間(1624〜44)のこと、ある鉄砲隊与力が射撃の研究のためにそこで一夜を過ごしていると、稲荷神が夢枕に立った。
そこで翌朝稲荷神社に祈願し射撃をしてみるとなんと百発百中の成績であった。
これを聞いた組の人たちもここに参詣し祈願すると皆的中したということである。
それ以後その稲荷神社を商店街皆中(皆アタル)稲荷と称するようになった。

 

 鉄砲隊は3列

皆中稲荷の広くない境内に鉄砲隊が集合。稲荷にデモンストレーションを奉納する。
3列あり、1番隊は立ち射撃、2番隊は腰ダメ射撃、3番隊はすわり射撃で、順番に撃つ。
「放てっ!」の号令で「ズドドーン」の大音響が轟き、思わずカメラを落としそうになった。
火縄銃のクラブでは発射薬の黒色火薬を自分で調合している。
武田の寄せ太鼓も後ろの台で囃していた

1番隊は立ち射撃
2番隊は腰ためで撃つ

3番隊はすわり射撃で
 最後にベテランが見本
 大久保界隈を行列、各地で射撃デモンストレーション
大久保界隈を行列がめぐり、10か所で鉄砲試射等を行う。
弾込め、火縄に火をつける等の動作を身近に見ることができた。
騎馬武者も3騎登場した。
西戸山野球場では、合戦演技として、陣立て模様も披露された。