作成:2011年7月28日
東京散歩               
江戸の名残りを探して
2011年7月26日


今日は陽射しはあまり強くないので、JR秋葉原駅から地下鉄東西線・門前仲町駅まで東京散歩。

これまで、門前仲町まで行くのに、東京駅、両国駅、木場駅、更に晴海辺りから歩いたことはあるが、今回は一番地味なルートのような感じがする。
この歩いた界隈は神田、日本橋を含む、江戸初期から町人達が主に住んでいた地域である。
当時の商人達の店とか面影はまず残っていないと思っていたが、実際に面影は無い。しかし、町名は富沢町、堀留町、浜町なんてそのまま残っている場所もあり、面白い。

今日歩くのは、岩本町、小伝馬町、人形町等であり、江戸時代の町家が多くあった界隈を通る(右写真は人形町の水天宮交差点)。
これらの町は、今は当然江戸時代の面影は無いが、石碑くらいは残ってないかと、探して歩いた。

幸いに、秋葉原駅を出て直ぐの神田川に架かる「いずみ橋」を始め、時刻を知らす「時の鐘」通り、小伝馬町にあった囚獄での「処刑場」跡等、時代物小説で出てくるものを初めて探し当てると共に、この近辺の距離感覚を実感できた。


秋葉原駅近くの神田川に架かるいずみ橋
昔は小さな橋だったらしいが・・・・
神田川の川下方向を見る。 右側は昔、柳原土手と呼ばれた。
土手の下には昼は古着屋が多く並び、夜は土手に夜鷹がでた


江戸時代、伝馬町にあった囚獄はこの石碑のある一角、及び道向かいにある十思小学校、十思公園を含む広さで、石手帯刀の屋敷と隣接していた。
この囚獄の一角に首切りの処刑場があった
小伝馬町交差点の近くで見つけた石碑
時の鐘、囚獄(牢屋敷)、そして松下松陰が処刑されたことが刻印されてあった。

十思公園の傍にある時の鐘通り
日本橋・石町は反対側に歩くとある筈
江戸初期に、日本橋・石町で時を刻んだ鐘が
十思公園に移されて残っている

水天宮通りの横道
稲荷神社は下町にもたくさんある
大通りの横道の、更に横道に入り込むと、
こんな昭和時代イメージの横道が残っていた

明治中期に開店した人形町の今半の本店
すき焼き、しゃぶしゃぶ等
明治初期に移転してきた水天宮
この水天宮近辺の人形町には最近若者が多く集まるらしい

墨田川に架かる清洲橋
青色の橋は綺麗である
清洲橋からスカイツリータワーが近くに見える

清澄橋から墨田川の下流方向を見る 仙台堀川


日本料理の今半は明治中期に創始している。
更に、今は水天宮が有名であるが、この水天宮は明治の初めに別の場所から移されたものである。

水天宮に参拝した後、隅田川を清洲橋で渡って、清澄公園横を通り、仙台堀川を渡り、近回りして深川不動尊に行っていつものとおりお参りをしてから、門前仲町駅に到着した。
歩いた距離は5Km強くらいか・・・