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==斬る・切る

12月30日 筑波山 今年最後の登山

今年最後の登山で筑波山に登る。
前日に大風が吹いたので、空気が澄んで富士山くらいは見えるだろうと思ったが、残念ながらガスで見えず。北関東・栃木等の山々もまた、雪雲で見えず。筑波山に何回登っても、遠景の山々がクッキリ見えたことは無い。
今日は疲れが残らないように、下山は初めてケーブルカーに乗った。8分位で簡単に降りた。登りは1時間以上もかかったのに!


御幸ケ原から男体山を望む

御幸ケ原から群馬赤城・栃木日光・福島会津方面を望むが写真には雪面の山々が判然せず

御幸ケ原から女体山を望む

下山は筑波山のケーブルカーで
12月25日 沼津漁港で美味しくボリュームある昼食・・・年末で魚店はもう大掃除!

沼津漁港で昼食を取った。沼津漁港は有名であるが、近くにある食堂店の並びはバスツアーが来るほど、これまた有名である。が、思ったほどには大きい町並みではない。
しかも、ウィークデーであるのに、また昼時なのに年末なのか大掃除をしている魚店がある。

営業している食堂店のなかで賑わっている「丸天」という店に入る。ここのかき揚げ天ぷら800円は円筒形に桜えびの入った具を大盛で揚げてある。1人分には多すぎる。マグロ丼1150円は味もボリュームもまあまあ満足させてくれる。

客は店前で名前を書いておいて、呼ばれるまで待つ。
呼ばれるまで時間があるので道向かいにあるビルの三階にある千一屋に行き、メニューを見るが、味や品質までの違いは判らない。
一階の魚売り場は閉まっているか、大掃除中であるかのいずれかである。もう年末の店仕舞になるのかな?

12月16日 テレビにでた日帰り温泉

山梨県笛吹市に、「ほったらかし温泉」という名の日帰り温泉がある。笛吹フルーツ公園を抜けて更に山腹の1本道を登ったところにある。
9月のコスモスが咲いている頃に初めてこの温泉に行ったときは「こんないい湯を見つけた」と小躍りした。
「ほったらかし温泉」の名前の由来は、開店後は資金が無く、お客さんを「ほったらかし」にせざるを得なかった理由によるとのこと。

「あっちの湯」と「こっちの湯」の2つに分かれており、各々別料金になっている。
大きく、開放的な「あっちの湯」に入る。見てみると建物は建築用資材のパイプで組み立てられている。しかし、お湯は内湯と、ややぬるい露天風呂、更にぬるい露天風呂の2つの露天風呂がある。
山の中に広い露天風呂があるだけの野趣に富んだ施設だが、景色は甲府盆地の一角を見下ろす広い景色と広く青い空があり、開放的で随分癒された。

12月の初めにテレビでこの「ほったらかし温泉」の紹介番組を見た。
12月の中旬に再度行った。客は3倍に増えていた。更に「こっちの湯」は改修工事中であり、休業中であった。その上、風呂から上がって脱衣場に来ると、テレビの取材団が来ており、後から見ていると、男性がふろに入っている様子を撮っていた。外に出ると、女性風呂からタレントのカイアが取材団と共に出てきた。また、テレビでPR放映されるだろう。

これからこの温泉は、素朴な「ほったらかし温泉」では無くなり、商売上手な「客を構う温泉」に変貌を遂げるだろう!

11月6日 晴海トリトンで バラの花絵

東京・晴海のトリトンスクエアの前の歩道でバラの花びらで作った花絵の晴海フラワーフェスティバルを見に行った。
もう夕方であり、もう少し暗くなるとライトアップされる時間帯なのでやや暗い写真になった。

写真の上方にあるように、テレビのカメラ撮影スタッフがリフトで高い場所から花絵を撮影していた。

この花絵は14万本の花びらで作った21枚の花じゅうたんキャンパスであり、1枚が3M×4M位の大きさに色々のバラの花びらで絵を表している。

浮世絵やら、諸々のテーマを表していたが、右の写真は何だっけ?
やっぱり、上から見ないとカメラでは表し難いね。

10月25日 房総のむら 古墳群を歩く

千葉県の真ん中辺り、印旛沼の近くに古墳群があり、「風土記の丘」という県立の公園風の「房総のむら」博物館エリアがある。結構広く、散歩がてらに見て歩くに絶好の場所である。
雑木林の手入れが良いため、日当たりも良い。古墳も芝生で丁寧に手入れしてある。
房総台地は温暖な気候なので、古墳の時代から住みやすい場所であろう。近くには印旛沼という、食べ物の宝庫もある。

仕事でこの近辺までは来ていたが、この公園に入ったことは無かったのでいい発見をした。
近隣は田舎風景であるが、ほんの近くまで住宅化の波が近づいている。
地域ごとに長く、このまま保存してもらいたい。


房総のむら 入り口?
左のような古墳が100以上も散らばっている。一見、丘のように小高い塚や写真のように少し盛り上がった土のようなものまで。
標識がなかったら判らない。

江戸時代の武士の家
10月18日 筑波山 景色よく見えず

このところ体調が良い。ジョギングを重ねた成果によるものと考えて体力を調べてみようと。
しかし、やはり筑波山はそれなりに変化のある山であり、それに今日の天候は秋にしては暑く、やはり汗をかいてキツイ。

ケーブルカーが登山路の傍を通っているが、上下するケーブルカーが交差するタイミングに出会った。

頂上に登るまで景色が見えないルートであるが、頂上に着いて楽しみにしてた景色はガスで見えない。近場の景色の紅葉だけは綺麗に見えた。


10月8日 コスモスの里 群馬県・板倉

栃木と茨城に近い群馬県の板倉というところに、大きなコスモス畑があるとのこと。
車で行ったら、田んぼの真ん中にコスモス畑が広がっていた。農協があり、そこに駐車場が仮設置されていた。
休耕田にコスモスを植えたようである。結構広い面積である。
コスモスの種類も数種類植えてあった。時期は終わりに近かったのか、もう花の盛りはすぎていた。
休耕田を有効利用した、村おこし用の観光策であろうが、日本の稲作はこんなもので将来いいのかな?

9月21日 館山・鏡ケ浦

仕事の帰りに、館山・自衛隊駐屯地のある鏡ケ浦の堤防に行った。

今日の鏡ケ浦は少し波があった。天気も悪く、富士山も見えない。
港からは館山城が見える。見晴らしのいい場所に城を建てるもんだ。
海上自衛隊・館山航空基地のヘリコプターがホバーリングの訓練をしていた。

小山の白いのが館山城

駐屯地から富浦方面

ホバーリング訓練中
9月2日 伊豆・伊東

熱海から伊豆半島に入り、伊東で1泊した。良い温泉であった。(伊東・大和館)
帰りは中伊豆に入り、三島で昼食にうなぎを食べた。(三島大社の近く、本町うなよし)
狭いが、客は多く、値段の割には美味しい。


駿河湾・富士山方面を望むが・・
三島大社
8月25日 日光白根山 暑いよ
改めて紹介するが、栃木、群馬の県境にそびえ、関東以北で標高2577.6mは最も高い山。
日光白根山・奥白根山とも呼ばれている。 ...白根山は日光火山群の主峰で座禅山、五色沼、前白根山、白根隠山の外輪山を持つ二重式活火山である。

私の足で、菅沼登山口から往復6時間強。登り道ではあまり人に会わなかったのに、頂上には数組の人で狭い石場の頂上は賑わっていた。
今度の年賀ハガキはこの頂上の写真を使おう。

この山はきつくても頂上まで辿り着くが、山頂から五色沼までの下りが結構急であり、長いので本当に膝にきつい。
1年に1回は登っているが、あと何回登れることか?

山頂にて
7月16日 長野・海野宿 綺麗に保存された古家

長野・海野宿。嬬恋村に近い場所。
海野宿の町並みは、江戸時代の旅籠屋造りや、茅葺き屋根の建物と、明治以降の蚕室造りの建物が北国街道沿いに並んでいる。

綺麗に掃除されていて、余りにも観光化的であり、人が住んでいる家のようには見えない。チリひとつ、枯れ葉1枚落ちてなかった。
しかし、家に入ると観光客を相手の商売もしている。


美味しかった団子
7月15日 長野・上高地 みどりが濃い
久し振りに上高地に行った。新島々に駐車して、バスで上高地に向かう。
感じたこと @大正池の昔あった枯れ立ち木がほとんど無くなった。 A上高地の駐車場、休憩建物が立派に整備されている。 B観光客は熟年令層が多いこと。 C木々が大きく成長しており、以前に見えた穂高の山が木々に隠れて見えなくなった場所があること。

雨の中を徳沢園まで行き、昼食をして戻った。
登山道を歩くが木々のみどりが濃く、良い森林浴である。梓川は雨にも関わらず澄んでいて冷たい。
穂高の山々は雲でほとんど見えなかった。

カッパ橋から穂高を望むが・・

穂高奥宮 何故か山の宮に船がある 

梓川の水は相変わらず澄んでいる
蝶ケ岳、常念岳方面を望む
2月〜8月 気になる木 その後

富里にある、1本の銀杏の木。未だ寒い頃に枝を切られた木はその後にどうなったか?
また、その周辺の町はどう変わったか?

4月から7月まで、木の枝はすっかり葉を茂らして存在を主張していた。
そして、近くのショッピングセンターも完成した。道も拡張されて、車の往来も多い。
かっては田舎の富里は、成田の周辺町として確実に拡大している。


2月

4月

5月

6月

7月

8月
3月4日〜5日 筑波山


男体山の登山口

先に女体山の像を見つけて、男体山の登山口に探しに戻ってから撮った

上の写真が筑波山、左が男体山、右が女体山の二山で構成される。

久ぶりに、筑波山に登る。1年ぶりかな!
若い時は登山口から約60分で登った。今は75分掛かる。
男体山の登山口から登って、鞍部の御幸ケ原に辿り着き、さらに女体山から降りて来るまで全行程3時間半。

昨日は関東に雪が降り、今日は10度位まで暖かくなる。天気は良いとの予報であり、そのとおりであったが、遠くはガスで霞ヶ浦もかすんでいた。日光連山、那須連山や富士山も見える事を期待して行ったのだが、残念ながら見えず。山頂は薄く雪が残っていた。
景色が見えないと、疲れだけが残る。

帰りは初めて筑波山の温泉宿に泊まった。

女体山の登山口

降りて来て初めて発見した。

2月18日 たまの運動で膝痛

今日は3時間ほど散歩、ジョギングした。
千葉県の北総線千葉ニュータウン中央駅近くから歩き始めて県道64号線に出て歩く。この道は車で佐倉、成田に行くときに通るが、歩くのは初めてであり、珍しく写真を撮った。歩いている人は私以外は誰もいない。トラックが排気ガスを匂わせて走り去る。


そしてJR成田線の木下駅近くから利根川に出た。歩き始めて約一時間で利根川に着く。
私はよくこの利根川に車で来て、土手の道を運動のために歩き、またはジョギングする。今日は気温7度くらい。陽はあるが風が少ないので運動しやすい。筑波山が川の向こうに見える(最後の写真の後方にカスカに映っている)。利根川縁を40分位ジョギングしたが、久しぶりのジョギングなので疲れた。
運動不足かな。同じ道をたどって帰った。膝がガクガク。

2月16日 寒冬?

昨日は20度近くまで気温が上がった。今日は雨がふり、10度以下らしい。

もう梅は咲いているのかな?私は今年はまだ見たことがないが。しかし、梅に限らす他の木の蕾が大きくなっていることは見て確かである。春は近づいている。

春よ来い!早〜く来い!
暖かくなってくれ!

2月13日 冬空の満月

今日は満月。周りが暗くなった夕方6時頃、雲ひとつ無い、澄んだ冬の空。車道の向こうに満月が上りかけている。
なぜかこの月が大きく見える。

この月の色はだいだい色のようで冷たい色ではない。しかし、この満月が暖かくは見えず、冷たく見える。なぜだろうか? 真円るく、大きく、だいだい色なのに。もともと、月は夏に見ても暖かくは感じない。
が、冬に見る満月はやっぱり冷たく感じる。不思議である。

2月10日 市原

千葉県市原市は内房の工業地帯から外房の鴨川近くまで入り組んで伸びている、関東では横浜に次ぎ2番目に広い市である。

高台にある病院の10階から眺めてみた。写真で、手前の住宅街から向こうの海側の工場帯まで見えるが、その境目は比較的はっきりしているらしい。写真では見えないが、肉眼で、千葉の幕張、東京のベイエリア等の高層ビルがはっきり見える。さらに右側には川崎・横浜あたりも見える筈である。

たまには、こんな場所でノンビリしないとな・・・

2月8日 富里の一本の気になる木

千葉県の富里は成田飛行場が出来た頃まで、ほとんど田舎風景で畑と雑木林と牧場ばかり。それが、最近は大きく変化してニュータウンになっている。東関東自動車道の富里ICを降りると直ぐに渋滞にはまる。成田より富里の方が渋滞の度合いが大きい。そんな場所に一本の大きな木があり、気になっていた。去年の暮れには周りは畑であり、その木は綺麗に枝を切られてあった。今年から周囲が工事に入り、なにやらスーパーが建ちそうである。

この一本の木が、これから暖かくなるにつれてどうなるか、周囲の町の移り変わりとともに見て行きたい。

2月6日 映画

私は映画をよく見る。若い頃から邦画より洋画を見ていた。どちかかというとアクション物が好きである。普段、ストレスが多いから気分をスカッとさせるには動きが大きくて、ぶち壊すのが面白い。
テレビで時たまに見る映画では、過去に見たのが多い。テレビより、映画館で見るのが迫力があるには当然である。VTRでホームシアターなんてよりズーと良い。

昔は、千葉県の映画館は千葉、船橋、市川に集中していた。最近は都市計画で新しくビルが建て変わり、その影響か、「シネマ10」とか映画館が集中してきている。
千葉市、船橋ららぽーと、幕張。さらに最近は柏、印西などのニュータウンにも出来ている。車社会に敏感に影響しているらしい。
私としても、車で走り回るのでこういう傾向(トレンディ?流行?)で映画が見やすくなるのは歓迎である。

2月5日 寒い

今年は寒い。昨日の立春も風が吹いて寒い。今朝も陽はあるが結構寒い。梅の咲花が館山では例年より1ケ月遅れているという。

私は冬は嫌いだ。去年は3月過ぎまで微熱がズーと出ていて、辛かった。今年は体調を保っているが、外出時は相当の厚着をしている。防寒対策で灯油も結構使った。
もう一度でも雪が降らない事を祈る。

2月3日 節分

節分で豆まき。私は子供の頃は豆を撒いた。私が親になってからは、子供が小さい頃に撒いた覚えがあるが・・・。最近は真似をしたこともない。
今年は「恵方」なんて言葉がはやっている。「恵方巻き」なんて売っている。今年は南南東の方角を向いて目をつぶって、巻き鮨を噛まないで食べる(飲み込むのかな)らしい。
’89年に関西のコンビ二で「恵方巻き」を売り出し、段々と関西から関東まで・・・・ 売らんかなの姿勢が流行から、実質の節分のやりかたまで行くのかな。
秀吉の家臣・堀尾吉晴が、たまたま節分の前日に巻き寿司のような物を食べて出陣し、戦いで大勝利を収めたという故事があるらしい。

巻き寿司を目を瞑って食べるなんて、体に悪いことはいまさら私は・・・・

2月2日 浅草のり

ラデオを聞いていたら、「現在は浅草のりほぼ無くなっている。すなわち世の中から海苔の一種である浅草のりが消えてしまった。それが某人がタマタマ河口で浅草のりが生えているのを探し出した。DNA検査をしたら確かに浅草のりであった。今はこの浅草のりを養殖している」と聞こえてきた。

浅草のりは昔はよく売っていた。甘くてパリパリしていて美味しかった。浅草のりは今は海から消えて採れないので売ってないらしい。寿司の巻き寿司は良く食べるが、「浅草のり」という名前はそういえば最近聞くことも、見ることもない。昔の馴染みの物が無くなってきているが、「浅草のり」もその一つであると、ラデオを聞きながら思った。

2月1日

今日から2月。 如月。きさらぎ。着るものをさらに着ることから、訛って「きさらぎ」との説もあり。平安時代は寒かったのであろう。

また、いぬ(行く)1月、逃げる・2月、去る・3月というが、既に1ケ月は行ってしまった。1年は早い。気持ちは「ボヤボヤしておれないな」。しかし、時間だけ過ぎていく

1月28日 テレビ 

私のテレビの見方。チャネルをクルクル回して、見たいのを選ぶ。
民間放送も見るが、バラエティやクイズものが多く、それに答えるような期待のあるタイミングにCMが入り、興趣が削がれる。それに対して衛星放送は風景、山、旅、その他のノンフィクション・ドキュメント、それに昔の懐かしい映画が多く、私の好みに合うので、まず衛星放送にチャネルを合わす。
しかし、ホリエモンやら、建物強度疑惑等のニュースがどのチャネルにも重なって放映していたり、また有名タレントの細木数子や島田伸介や石田純一等、その時期の有名人が同じ時間帯に別のチャネルで放映されていると、もう見る気がなくなり、直ぐに別なチャネルに回す。

まあ、人それぞれの興味だから、どうでもいいか!

1月27日 勝浦で 

仕事で久しぶりに勝浦に来た。車で行くには千葉からこの方面には高速道路がないから時間がかかる。 折角の漁港だから魚を食べたいが、3時過ぎで中途半端な時間なので店が開いてない。魚市場や市民会館の近くの三日月ホテルにアクアセンタで岩盤浴の看板を見つけた。汗をよく掻くと聞いていたので入ってみた。黒く人身の長さの平たい石があって、その上にバスタオルを敷き、横たわる。石が暖かい。20分位も横たわっていると少し汗がでてきた。30分経つと汗が滴り落ちてきた。一時間の予約であったが45分で出た。体重を計ったら1キロ近く減量していた。ブラックシリカゲルという珍しい石らしい。イオンが発生して、癒し効果があるらしい。汗を掻くには良い方法である。あちこちのクアにあるらしいから見つけたら行ってみよう。 

アクアセンタを出て五時になったので魚を食べようと探したが今は禁酒だから、居酒屋でなく定食屋を探し出して入った。狭い地域だがなかなか暖簾を下げている店が少なく、駐車場も無かった。同じような場所を何回か回ってやっと定食屋を探し、地魚刺身定食を選んだ。しかし、カンパチとかマグロとか・・・サザエくらいが地魚かな?だけど、ボリュウムがあり美味しかったから良かった。

この勝浦では2年前、2月末〜3月初旬にある雛人形祭りを見た。
千体以上の雛人形を市民会館を中心に、合計数千体の雛人形があちこちの家や店先の場所で飾ってある。大変な数の観光客が来ていた。
思うに、これだけの多くの数の雛人形を集めたり、保存したり、大変であろうな。勝浦の関係者の方、ご苦労様。

勝浦の漁港の市場風景。暇な時間か、閑散としていた。
後方左の建物が行ったホテル三日月。

 

 

 

2年前に見た雛祭り

1月23日 雪ダルマは? 

22日まで降った雪が、雪掻きされているが、午前中は雪で車の進行をあちこちで邪魔していた。

昔と違う風景! それは雪ダルマが見当たらないこと。10年以上前までは雪が降れば必ず雪ダルマが見えたものであるが、今日は車で船橋から市原、八街と走り回ったが、ただ1ケ見つけただけ。
それも会社の門にあったから大人が作ったものであろう。最近の子供は雪ダルマは作らないのだろうか?

子供が外で遊ばなくなったからか、親が雪ダルマを子供と一緒に作らなくなったのか?何故か情緒が無くなってきた。学校では作ってあるのかな?

1月21日 雪掻き 

雪が積もった。船橋は結構降り、隣の家の屋根を見ると15センチ以上ありそう。毎年、雪が降ると雪掻きをするが、今日も昼から自宅前の道路の雪掻きをした。一昨年は雪掻き専用のスコップを買っていたが、一昨年は雪が薄く、スコップは使わなかった。今年初めてスコップを使ったが、なかなか使いやすい。調子に乗って隣の年寄り夫婦の家の方まで頑張って雪掻きしたら、終ってから腰が痛くなった。

しかし、その後も雪が降り続けており、明日の朝はまた積もっているだろう。腰が痛いのでもう明日は雪掻きをしたくないが。

こんな苦い経験をすると、東北・北陸の日本海側の異常な大雪に悩まされている人たちの苦労が充分判る。私は最近、綺麗な雪景色を写真に撮ろうと思っていたが、こんな経験をすると考えさせられる。

1月19日 世の中 

今日は歯科医で、インプラントの手術をした。2本埋めるため、時間が1時間以上かかった。麻酔をかけていて痛くは無いものの自分の口中を掻き回されている感じである。帰宅して、痛め止めの薬を飲んでじっとしていた。数日はお酒も飲めない。今まで歯を大事にしなかったツケがドカッと出てきた感じである。

午後、ジッとするのにテレビを見ていたら、強度偽装問題の国会での質疑応答風景と、ライブドアの株操作事件ばかりである。取り上げの順位はホリエモンのライブドアの方が最初である。しかし、強度偽装問題は、国会議員への関連がある筈であり、プライオリティは高い筈なのに。

国会議員への影響を避けるために、この時期にホリエモン問題を掘り上げたという噂さえある。土建屋と政治家との繋がりは相当に大きいらしい。ホリエモン問題では自殺者が出たが、強度偽装問題のほうは未だ自殺者は出ていない。今日の国会での質疑応答でミソギをしてしまうなら、野党の民主党もミソギをしたいのかな。これなら、悪者の尻拭いを税金で賄うだけで終ってしまうが・・・・

1月17日 寂しい浅草 

浅草で仲良しグループの新年会をした。今日は寒い。また、浅草での行事も無かったせいか、歩いている人は少なく、浅草の飲み屋街は閑散としていた。閉店している店もある。

久し振りに行った浅草であったが、混雑していない浅草は寂しいものである。

1月15日 市民駅伝 

自宅の近辺での運動を兼ねた散歩で、見つけたのが駅伝。市が開催している「船橋市民駅伝競走会」であった。走者は高校生から、白髪のある人までチームを組んでいるようである。トップは見損なったが、先行していた走者は軽々と走っているように見えたが、後部走者になるにつれて、顎が上がって苦しそうな走者が見える。交差点が2ケ所近くある場所で見ていたが、警察が自動車を捌くのに10人くらいいて、走者と自動車の走行コントロールをしていた。わずか10〜20分の間であったが、走者が車に近づくと見ている観客の私がハラハラしながら見ることになった。警察も大変な苦労である。最終走者が走り終わった後で、責任者と見られる警察官が「ほっ」としていた。

走者は日頃の練習運動の結果をこの日に披露しているわけであろうが、やっぱり学生らしい若者は元気である。私も自分の健康のためにジョギングをするが、このように競争する試合に出場は無理かな。

帰宅したらテレビで「女子県別駅伝」を放送していたが、それよりも、地方の「走者の顔は知らないがローカルなチーム名」のゼッケンをつけている市民駅伝には親しみを感じる。

1月13日 鴨川で魚? 

一昨日に続いて、今日も鴨川に行ったが、途中の鴨川有料道路の路端に先日降った雪がいまだに残っていた。やや高度の高い場所であるとは言え、南国房総の鴨川で雪の名残りを見るとは思わなかった。

鴨川に行くと美味しい魚が頭に浮かぶが、安くて美味しい魚を食べさせる店は未だに見つけられない。高ければそこそこの場所にあるが。昼食で1500円以上になってしまう。鴨川で安くて美味しい店はないものか?

1月12日 千葉の日帰り温泉 

夕方、仕事で疲れたので、日帰りのスーパー銭湯に入った。最近は千葉の各所に日帰り温泉が随分と増えた。千葉、船橋などの大きい町の郊外に多いが、最近は茂原、大網白里、印旛等の住宅開発中のローカルに新しい日帰り温泉が新しく新設されている。

最近の日帰り温泉の傾向は、麦飯石とか、温石とか、石を使った湯の施設が多いようである。

1月9日 成人式

今日は成人式で3連休最後の日。

今年成人になった甥っ子には、些少ながらお祝いもあげたし、今日はユックリすべい・・・。

1月7日 七草粥 

今日は七草粥の日。平安の昔から、正月における重い食べ物で疲れた胃に優しく薬と休養の日。つい40〜50年前まで普通の家庭でも多く食べられていた。和服姿で正月を過ごした頃のこと。

日本海側の大雪とは別に太平洋側は乾燥した寒い日々が続く。3連休の初日、運動不足を補うために、1時間程散歩する。風は少なく、陽が当たって寒さは感じない。もう家の戸や自動車に着いていた松飾りもほとんど無くなっている。田んぼには薄い氷が張っている。そして、空はほとんど雲が無い青空である。ずっと遠くに成田に着陸すら旅客機がノンビリ飛んでいるように見える。

去年は2日から風邪で体調を崩したが、今年は風邪を引かないように充分に健康に気をつけるつもりである。

1月5日 仕事始め 

今日は仕事始めの日。

普通の会社では4日が仕事始めが多いが、私の勤務先は1日遅い。私には休みは多いほうが良い。

しかし、会社ではキッチリと仕事が待っている。初日からまる1日働かせる。 私が若い頃は仕事始めの日は挨拶をして昼から帰宅したもんであったが。あの頃は和服姿で来た若い女性が多かったが。
昔を懐かしがってもしょうがないか。

1月3日 寝正月 

今日は寝正月の日。

箱根駅伝マラソンの復路の放送で亜細亜大学を応援。常連の大学より、特別有名な選手は居なく、外人選手もいなく、地味だけどなんとなく新鮮なイメージであり、優勝経験校よりこんな大学を応援したくなる。

今日は自宅で精進料理。さらに休肝日。昼食は写真のメニューで食事。地味な正月である。

1月2日 実家で正月 

正月には皆さん実家に帰り、集い、久し振りにファミリーと顔を合わせ、今年の無事を願い、酒を酌み交わす。

甥つ子、姪つ子達がもうお酒をぐいぐいと飲む。座が賑やかになる頃には私はもう酔っ払って寝てしまう。テレビの駅伝もお笑い番組も勝手に映っているだけであまり関心が行かない。

じゃじゃ馬・姪つ子の「馬子にも衣装」の和服姿はたまに見るといいものである。

2006年1月1日 元旦

大晦日の紅白歌合戦を見たが、歌手が判らなくて、聞いてても歌い方に馴染めなく、歌詞が耳に入らない。結局見ないで早く寝たので、元旦は早く目が覚めた。歳のせいかな。

お屠蘇用の良いお酒ではないが、それでもノンビリ飲む酒は美味しい。時間を潰すにはテレビしか無いが、お笑いテレビは正月用でどこのチャンネルも面白くない。しょうがないからBS放送でドキュメントものを見ていた。

今年は(自分にだけでも)良い年になるように・・・

12月31日 大晦日

大晦日は皆さん外出をしないようなので高速道路が空いている。さらに工場も休みなのでスモッグが少なく見通しが良い。

そのため私は例年、山梨、長野の小高い山に登ってアルプスの雪山稜を眺め、撮るのであった。しかし、暇人はいるもので、チラホラと登山者と出会う。これらの人たちは私と同じ考えで来ているのであろう。遠くから見える北アルプス、南アルプス、中央アルプス、八が岳等の山稜はニギリ飯を食べるには最高のオカズである。 例え、風の中で震えながらでも。

しかし、去年も今年の今日も行かなかった。年齢の性にはシタクナイ。飽くまでも仕事の疲れが残っていたからだ! これも年齢のためか?

12月29日 小掃除

小掃除なんて言葉はないが、正月を迎える気持ちを持っているせいか少し掃除くらいせずばなるまいと思ったから、普段しないところをキレイに掃除機をあてたり、拭いたりしてみる。厄介なのは窓ガラス拭き、およびアルミ窓の滑るところを拭く時。数年拭かなかったら汚れが落ちにくいし、アルミの桟なんて拭きにくい事甚だしい。

2〜3時間掃除して疲れた。とても大掃除とは言えない内容なので小掃除!? まあこれで正月を迎えられる気持ちになったから、まあいいか。

12月27日 館山城

      

仕事で館山にひさしぶりに行った。城山公園があった。館山の岬の突端の洲崎に近い小高い山に館山市立博物館があり、その博物館別館が旧蹟・館山城である。

江戸時代の文豪曲亭馬琴が書いた有名な長編小説・南総「里見八犬伝」の所縁の城と謂われる。天守閣に登り、内房を見れば広い自衛隊・館山駐屯地(写真の黄色の広場)の先の海の向こうに富士山がスモッグに薄れてかすかに見える。右側の鏡ケ浦はその名の如く穏やかである。

さすがに東京湾の入り口近くにあり、もし異変があれば直ぐに見渡せる。江戸時代のアメリカの黒舟も見えたかも。

城内は八犬伝に関する江戸時代の書籍を初めとした所縁のものが展示してあり、また公園内には小説八犬伝のモデルと考えられている、江戸時代初期に里見家が南総から東北に移封される時の遺臣八人の墓がひっそりと佇んでいた。 

2005年12月25日 餅つき

餅突きは力仕事なので、年を取り、還暦になるとだんだん億劫になってきた。しかし、毎年続けており、今年も今日、餅突きをして、手や腰が痛い。力仕事は力のある甥っ子たちに任せたいが、彼らは多忙と称して遊びに行ってしまい、内一人だけが手伝った。

今年は穏やかな天気で陽もあるのでうってつけの日和であった。餅はノシにするのは少なく、丸餅にする。一臼を突くのにどれだけ大変か、若い頃は数多く突かされたが、最近は1臼突けばもう腕が疲れてしまう。

30年も昔はまだ餅突きの音が聞こえていたが、最近は何処からも聞こえて来ない。わずかばかり、町内で餅突きをしていると聞くが・・・。 多くの皆さんはスーパーの餅を買うか、電気の餅突き器でやってるらしい。 日本の庶民の伝統の一つが消えていきそうである。核家族になった為か・・・。自分たちで突いた餅が一番美味しいのに。我が連合家族も我らの世代で「餅突き」は消えていく運命か??!!

奥多摩・吉野梅郷

吉野梅郷にある公園内の梅はまだ咲いていない。3月末頃が見頃らしい。

吉野梅郷は青梅市内であり山里のせいか花の咲く時期がすこし遅いらしく、早咲きは蝋梅と一部の紅梅が咲き、白梅はまだ遅い。
「郷」と名が付いている通りに公園内だけでなく、周りの家の庭等を含む地域一体に梅の木があり、花が咲くと其処ここに目を楽しませてくれるだろう。